1-3. サボりをかます吹きこぼれ園児

「子どもが小さいうちは、家族そろって生活する」という両親の考えもあり、外交官だった父•富雄の仕事に合わせて、僕は4歳までをモンゴルで、6歳までをマレーシアで過ごしました。

 物心ついた時から海外生活が当たり前だったので、それ自体をつらいと感じたことはありませんでした。ただ、一時帰国したタイミングで連れて行かれた日本の幼稚園に、大きな衝撃を受けたのを覚えています。

 母が言うには、日本の幼稚園にやったのは「日本の社会や文化に慣れさせるため」だったそうですが、僕は園児が一か所に集められて「げ〜んこつやまのたぬきさん♪」と歌をうたったり、お遊戯をしたりするのに抵抗を感じる、筋金入りの吹きこぼれだったのです(笑)。

 当時、僕が通っていたマレーシアの幼稚園では、本の読み聞かせは先生が園児にするだけではなく、逆に園児が先生にしてその感想をもらうなど、今振り返るとかなり先進的な教育が行われていました。つまり、相手が小さな子どもであっても「一個の人格」として扱い、その成長を促していたのです。

 そんな背景もあり、日本の幼稚園の「みんなで一緒に」という同調圧力に耐えられなかった僕の定位置は、教室の中ではなく園内にある渡り廊下でした。いつも渡り廊下でサボりをかます僕の手を静かに引いてくれた初老の園長先生にだけは不思議となつき、「おばちゃん先生、おんぶして」などと、いかにも子どもらしい駄々をこねたりもしました。

 そんな中、12月に行われた園のクリスマス会で、僕の発した一言が場の空気を凍り付かせてしまったことがあります。サンタに仮装した男性教諭が登場して他の園児が大喜びしている中、僕は「あれ、もも組の先生だよね」と聞いてしまい、近くにいた大人たちは思わず面食らった顔になりました。その時、20代前半くらいの女性教諭が「亮子ちゃん、めっ!」と、口をとがらせて自分の腰に手を当てて、“プンッ”とするポーズをして僕をたしなめるのです。あまりの寒さに逆にたじろいでしまいましたが(笑)、とりあえず怖がっておいた方が穏便に済むと思い、「ごめんなさーい……」と、叱られたあとに子どもがよくする、不安な表情をたたえておきました。

 かくして僕は日本の社会や文化に触れることで、それに慣れるどころか、逆に、わずか4歳にして吹きこぼれマインドを確立させてしまったのです。母が思い描いたのとはずいぶん違う形でしたが、その数年後から日本で生活する準備として、欠かせない出来事になったように思います。


(取材・文:大下直哉